過去のニュース
2007/12/28 当事務所の所長、坂野滋弁護士が逝去致しました
当事務所の所長であり、代表パートナーであった坂野滋弁護士が、平成19年12月28日、享年82歳にて永眠いたしました。葬儀・告別式は、平成20年1月30日に、築地本願寺において執り行われました。ここに生前のご厚誼に対し厚く御礼申しあげます。
2007/10/01 五十畑亜紀子弁護士が新日本製鐵株式会社に出向いたしました
五十畑亜紀子弁護士が、新日本製鐵株式会社(総務部国内法規グループ)に出向しました。
2007/10/01 中山雄太郎弁護士が職務再開いたしました
中山雄太郎弁護士が、新日本製鐵株式会社(総務部国内法規グループ)での出向を終え、当事務所での職務を再開しました。
2007/09/14 「会社法 実務スケジュール」(新日本法規出版)の出版
当事務所弁護士橋本副孝、吾妻望、日野義英、菊池祐司及び笠浩久並びに新日本製鐵株式会社高橋均の共編による「会社法 実務スケジュール」が新日本法規出版株式会社より出版されました。
2007/04/01 泉寿恵弁護士が入所いたしました
当事務所では、泉寿恵(いずみひさえ)弁護士(57期)を新メンバーとして迎えました。同弁護士は、判事補の経歴を持ち、平成16年に成立した「判事補及び検事の弁護士職務経験に関する法律」に基づき、この度、当事務所に勤務することになりました。
2006/10/01 工藤洋治弁護士の入所
当事務所では、今秋、1年半の司法修習(59期)を終了した工藤洋治(くどうようじ)弁護士を新メンバーとして迎えました。
2006/03/01 中山雄太郎弁護士が新日本製鐵株式会社に出向
中山雄太郎弁護士が、新日本製鐵株式会社(総務部国内法規グループ)に出向しました。
2006/01/13 吾妻望弁護士が通常業務に復帰
吾妻望弁護士が、最高裁判所司法研修所での3年間の民事弁護教官の任務を終え、通常業務に復帰しました。
2005/10/04 星大介弁護士、酒井俊介弁護士の入所
当事務所では、今秋、1年半の司法修習(58期)を終了した星大介(ほしだいすけ)弁護士、酒井俊介(さかいしゅんすけ)弁護士を新メンバーとして迎えました。
2005/07/02 当事務所の顧問大堀誠一弁護士が逝去されました
平成7年より、当事務所の顧問をお引受けいただいた大堀誠一先生が平成17年7月2日逝去されました。亡くなる直前の東京新聞平成17年6月7日朝刊に大堀誠一先生を取材した記事「肥大した欲望抑える倫理必要」が掲載されておりますので転載致します。
● 肥大した欲望抑える倫理必要(東京新聞平成17年6月7日朝刊)
検事出身である。
特捜部のヒラ検事時代は武州鉄道汚職事件などを、特捜部長時代には石油ヤミカルテル事件などを手がけた。
「ロッキード事件の公判開始のときは東京地検の次席、一審判決が出たときは検事正でした」
苦々しい思い出もある。一九七七年のダッカ事件である。日航機が日本赤軍にハイジャックされ、犯人グループが拘留中の同志の釈放などを求めた事件である。
福田赳夫首相の決断で「超法規的措置」がとられ、犯人グループの要求が受け入れられた。
「次席の部屋でずっと布団を敷いて寝ていましたよ。極めて不快な出来事でした」
司法試験に合格したのは、戦後間もない一九四八年。大堀さんは意外にも、工学部の航空学科の卒業である。
「武蔵高校在学中に父から『理科へ進め』と言われたのです。父は弁護士でしたが、どうも法律の仕事が好きではないらしく、『理科へ』というのは厳命でした」
四三年九月に高校を卒業すると、東北帝国大学へ入学した。文科は学徒動員で兵隊に取られたが、理科の学生は徴兵延期であった。もっとも、大学ではまともな講義などはなかった。
「勤労動員では群馬県の太田にあった中島飛行機の工場へ行きました。四五年の春ごろでしたが、何と木製の飛行機をつくっていたんですよ。これはもう末期現象だなと思いましたね」
そのころ、墜落した米軍機を見に行ったことがあった。ジュラルミン製の胴体には、本来、たくさん打ってあるはずのリベット(鋲(びょう))が見あたらなかった。
「日米の飛行機の工作技術には、格段の差があったのです。航空学科の私にはショックでした」
終戦はその工場で迎えた。仙台に戻り、復学したものの、終戦とともに航空学科はなくなり、工業力学科となった。占領軍により、もはや日本では航空技術の研究ができなくなったためである。だから、大堀さんの卒業設計は、ディーゼルエンジンだったそうだ。
「卒業後、知人の会社に勤め、企業再建の仕事をしました。そのときに、戦後の新しい法律を読まされて、司法の道へと入ったのです」
ただ、退官後になって、現代の世相について、不安に思うことがある。
「治安の悪化です。オウム事件はちょうど最高裁の退官の年でした。予想もつかない事件で、日本の治安には危機感を持つようになりました」
殺人事件は日常化し、荒れて、すさんだ世の中になった。
「バブルで、人間の欲望が極大になりました。その後は一転、成長のない時代に入りました。希望のもてない停滞した社会の中で、欲望だけが肥大化しているのが、背景にあるのでしょう」
人間の死に対しても、現代は大半が病院死だから、生の尊厳に直面する機会も失われている。
「対策といえば、家庭や学校などでの教育しかないのでしょう。ただ、昔はこんなことをよく言ったものですよ。『上見て働け、下見て暮らせ』−。要するに、自分に見合った生活をする、つまり欲望を抑える倫理が今は必要なのでしょう」 (文・桐山桂一)
2005/04/01 荻山真理子弁護士の入所
当事務所では、平成15年に弁護士登録(大阪弁護士会)した荻山真理子弁護士(56期)を新メンバーとして迎えました。
2005/03/01 菊池祐司弁護士が職務再開
菊 池祐司弁護士が、2年間の証券取引等監視委員会(任期付公務員)での勤務を終え、当事務所における職務を再開致しました。同弁護士は、証券取引等監視委員 会において、主に証券会社及び登録金融機関の証券業務に係る検査等を担当していたものであり、同委員会における経験を生かし、より高度化・専門化する皆様 の法的ニーズに対応してくれるものと期待しております。
2004/10/04 井上廉弁護士、石田彩子弁護士の入所
当事務所では、今秋、1年半の司法修習(57期)を終了した井上廉(いのうえれん)弁護士、石田彩子(いしだあやこ)弁護士を新メンバーとして迎えました。
2004/10/06 飯塚優子弁護士の入所
当事務所では、今秋、1年半の司法修習(56期)を終了した飯塚優子(いいづかゆうこ)弁護士を新メンバーとして迎えました。
2004/07/25 当事務所の顧問味村治弁護士が逝去されました
平成6年より、当事務所の顧問をお引受けいただいた味村治先生が平成15年7月25日逝去されました。日本経済新聞平成15年8月8日夕刊に味村治先生の記事が掲載されておりますので転載致します。
● 法律のプロ、議論は厳しく(日本経済新聞平成15年8月8日夕刊)
元最高裁判事の味村治(みむら・おさむ)さんは、振り出しは検事ながら1954年以降、内閣法制局長官で退官する89年までの大半を法務省と法制局で過ご し、行政官の立場で法律のプロとして活躍した。法務省では商法改正作業に取り組み、法制局長官時代には「旧憲法下では昭和天皇に戦争責任はない」「大喪の礼は憲法の政教分離の原則に反しない」などの見解を示したほか、新元号「平成」の決定にもかかわった。「温厚、紳士的でにこやかだが、意見は厳しい」と周 囲の評。最高裁判決で個別意見や補足意見を述べたことも度々。同じ小法廷だった大堀誠一・元最高裁判事は「様々なことを議論したことが楽しかった。意見の 合わないこともあったが、気持ちのいい議論だった」と振り返る。「精緻(せいち)な法解釈」は、最高裁判事を退官後も、政府の審議会委員などで発揮された。
(7月25日没、79歳)
2004/04/01 笠浩久弁護士が職務再開
笠浩久弁護士が、任期付公務員としての金融庁における2年間の勤務を終え、当事務所における勤務を再開することになりました。同弁護士は、金融庁において、主に不良債権処理・企業再生等を担当していたものであり、当事務所としては、同庁における経験を、今後の業務に生かしてくれるものと期待しておりま す。
2004/03/01 菊池祐司弁護士が任期付公務員として勤務
菊池祐司弁護士が、任期付公務員として、証券取引等監視委員会において勤務することになりました。期間は2年の予定です。
2004/01/21 吾妻望弁護士が司法研修所教官に就任
吾妻望弁護士が、平成15年1月21日付けで、最高裁判所司法研修所民事弁護教官に就任しました。
2003/10/07 前田泰志弁護士の入所
当事務所では、大学卒業後法務省での勤務を経て、今秋、1年半の司法修習(55期)を終了した前田泰志(まえだやすゆき)弁護士を新メンバーとして迎えました